2016年11月15日火曜日

理の旅 第一回 『理』

こんにちは
管理人の鼻提灯です。

今回より新企画『理の旅』を始めたいと思います。

これはさまざまな世の中のキーワードの中から何かをピックアップし、それについてその本来の意味、社会的な意味、そして僕自身の中での意味について考えていくものです。

これは哲学であり、もちろん答えなどありません。
一回の投稿で簡潔する場合もあれば、また違った見方、考え方から再度投稿につながる場合もあると思います。。

いずれはこれを見ていただけた方の話も聞きたいですが
まずは僕自身の中に答えを見つけるために日記のような形でスタートいたします。

今回のタイトルは『理』です。
これは″ことわり″と読みます。

まずは本来の意味を見てみましょう。

(Wikipediaより)
 (り、Lĭ)とは、中国哲学の概念。本来、理は文字自身から、璞(あらたま)を磨いて美しい模様を出すことを意味する。そこから「ととのえる」「おさめる」、あるいは「分ける」「すじ目をつける」といった意味が派生する。もと動詞として使われたが、次に「地理」「肌理(きり)」(はだのきめ)などのように、ひろく事物のすじ目も意味するようになる。それが抽象化され、秩序、理法、道理などの意に使われるようになった。

仏教の世界ではこの言葉はそれほど重要な意味としては使われていません。道理、義理、条理を表す言葉です。
しかし中国の仏教徒は中国伝統思想に基づきこの言葉を普遍的、抽象的な言葉として使用してきました。


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