2016年12月8日木曜日

アーティスト 『ビリージョエル』 について

こんにちわ
管理人の鼻提灯です。

先日『GLEE』とう海外ドラマを見ていて『ビリージョエル』の回があり、彼の代表曲が流れるのを聞いて今回の記事を書いてみようと思いました。

僕ももちろん世代ではないので、あまり詳しくは知らなく、曲は聞いていてとてもいいと思っていました。


それでは早速プロフィールから

『ウィリアム・マーティン・ビリー・ジョエル(William Martin Billy Joel)』はアメリカのニューヨーク州サウス・ブロンクス出身のロック歌手、ピアニスト、作曲家です。
ポップで親しみやすいメロディー、大都会に住む人々を描いたメッセージ性のつよい歌詞で1970年後半から1990年代前半にかけてヒットを連発しました。

全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売り上げ第6位のアーティストだそうです。  すごいですね!

まずは彼の代表曲をいくつか紹介します。
こちらは僕が一番好きな
『UPTOWN GIRL』です。

GLEEの中でも歌われた曲でとてもキャッチ∸な歌詞とメロディが乗せてくれます。


『JUST THE WAY YOU ARE』
この曲はとてもいいです。まずタイトルは確か“このままのきみでいて”というような意味だったと思います。しびれますね(笑)


『Honesty』
この曲は本当に感動させられてしましました。
僕も歌が上手ければ誰かに歌いたい。そんな一曲です。

三井住友やソニーなど多くのCMに使われているので聞いたことがある人も多いと思います。
そもそもビリージョエルさんの曲は多くCMで流れていますね

『My Life』
この曲はメロディーが抜群にいいと個人的に思っています。
なんか自分の人生を深く考えてしまう一曲です。


『PIANO MAN』
この曲のヒットによってビリージョエルさんは一躍有名になりました。
聞いたことがある人も多いと思います。



WIKIからですみませんが簡単に来歴を紹介します。

1971年のアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』で、ビリー・ジョエルはソロ・デビューする。しかしながらこのアルバムは、所属レコード会社による勝手な判断で録音テープの再生速度を上げられてしまい全く別人のような歌声で発表された[7]。不本意な内容の上ヒットにも至らず、人間不信から鬱病が進行し自宅に引き籠りがちになってしまう。発売後にジョエルは、後に妻となるマネージャーのエリザベス・ウェーバーと共にロサンゼルスに移住している[8]

ビル・マーティンという名前でクラブを中心にライヴ活動を行った彼は、その後コロムビア・レコードと契約を更新[9]。そして、1973年にアルバム『ピアノ・マン』で再デビューを果たす。表題曲が全米トップ30のスマッシュ・ヒットとなった[10]ことによってこのアルバムはセールスを伸ばし、彼にとって初となるゴールド・ディスク認定作品となった。『ピアノ・マン』と同じくマイケル・スチュアートがプロデュースを手がけた1974年発表のサード・アルバム、『ストリートライフ・セレナーデ』もゴールド・ディスクに認定されている。

1975年には、4枚目のアルバム『ニューヨーク物語』を制作する。このアルバムは、当初シカゴのプロデューサーだったジェイムズ・ウィリアム・ガルシオがプロデューサーとして携わっていたが、最終的にジョエル1人によって仕上げられた。翌年にリリースされ、彼にとってキャリア中唯一のセルフ・プロデュース作品となったこのアルバムは、後にヒット曲となる「さよならハリウッド」「ニューヨークの想い」などを収録しながらも、商業的には不振に終わっている。

1977年に発表された5枚目のアルバム『ストレンジャー』は、彼を一躍スターダムへとのし上がる大きな成功を収めた。ポール・サイモンのグラミー賞受賞作『時の流れに』などを手がけたフィル・ラモーンをプロデューサーに起用して制作されたこのアルバムは、全米2位まで上昇する大ヒットを記録[10]。アメリカでは、2003年に各フォーマット総合で1,000万枚以上も売り上げ、ダイアモンドディスクに認定された。

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1980年代以降の来歴は長くなるので割愛いたします。
またなにか別の時に紹介できれば(って厳しいかな(笑))と思います。


ちなみにディスコグラフィーは以下のようになってます。
とても多くのアルバムを出されているんですね。知らなかった(*´Д`)



オリジナル・アルバム[編集]
発表年アルバム名最高順位US売上枚数
邦題原題米国[10]英国[14]日本
1971年 コールド・スプリング・ハーバー〜ピアノの詩人 Cold Spring Harbor 158[24] - 44[24] -
1973年 ピアノ・マン Piano Man 27 - - 400万枚
1974年 ストリートライフ・セレナーデ Streetlife Serenade 35 - - 100万枚
1976年 ニューヨーク物語 Turnstiles 122 - - 100万枚
1977年 ストレンジャー Stranger 2 25 3 1000万枚
1978年 ニューヨーク52番街 52nd Street 1 10 9 700万枚
1980年 グラス・ハウス Glass Houses 1 9 6 700万枚
1982年
ナイロン・カーテン The Nylon Curtain 7 27 2 200万枚
1983年 イノセント・マン An Innocent Man 4 2 3 700万枚
1986年 ザ・ブリッジ The Bridge 7 38 2 100万枚
1989年 ストーム・フロント Storm Front 1 5 8 400万枚
1993年 リヴァー・オブ・ドリームス River of Dreams 1 3 3 500万枚
2001年 ファンタジー・アンド・デリュージョンズ Fantasies & Delusions 83 - -


ライヴ・アルバム[編集]
発表年アルバム名最高順位US売上枚数
邦題原題米国[10]英国[14]日本
1981年 ソングズ・イン・ジ・アティック Songs in the Attic 8 - 3 300万枚
1987年 コンツェルト-ライヴ・イン・U.S.S.R.- КОНЦЕРТ 38 - 16 100万枚
2000年 ビリー・ザ・ライヴ 2000 Years -The Millennium Concert- 40 - 16 50万枚
2006年 12ガーデンズ・ライヴ 12 Gardens Live 14 不明 52 -

ベスト・アルバム[編集]
発表年アルバム名最高順位US売上枚数
邦題原題米国[10]英国[14]日本
1985年 ビリー・ザ・ベスト Greatest Hits Volume 1 & 2 8 - 3 2,100万枚
1987年 STAR BOX - 未発売 未発売 20 -
1997年 ビリー・ザ・ベスト 3 Greatest Hits Volume 3 9 23 16 100万枚
2000年 ビリー・ザ・ヒッツ The Ultimate Collection 未発売 4 21 -
2001年 - Essensial 29 - 未発売 -
2004年 ピアノ・マン〜ヴェリー・ベスト・オブ・ビリー・ジョエル The Very Best of - - 17 -
2005年 マイ・ライヴ My Lives - - - -


 見ていただいたみなさんありがとうございました。
それではまた


 

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