2016年9月26日月曜日

麻雀研究 捨て牌を読む 第二回 ※途中

【筋とは】
筋とは両面(リャンメン)待ちのことを指します。
麻雀では両面を作る6種類の塔子(ターツ)があり、これをリャンメンターツといいます。
つまりリャンメン待ちの筋は6種類ということになります。

基本六種の筋は以下の通りとなります。
2、3のターツ ➡ 1、4の待ち
3、4のターツ ➡ 2、5
4、5のターツ ➡ 3、6
5、6のターツ ➡ 4、7
6、7のターツ ➡ 5、8
7、8のターツ ➡ 6、9

6筋の並びを変更すると以下の通りです。
1234567
2345678
3456789  ※赤字が筋

6種の筋、つなげて3種の筋を基本に筋読みを行います。


この手法は基本的に相手がリャンメン待ちをしているときのみ有効となります。
この読みによって打牌に対して安全な牌や危険な牌を推測する戦術が筋読み戦術となります。
このような戦術による守備方法を『筋を追う』といいます。



もっとも有効なのは字牌や1、9などのヤオチュウハイが序盤から捨てられており、セオリー通りに手作りをしていると思われる場合です。
※麻雀ではあがり率の高いリャンメン待ちにするのが定石なので有効な場面が多いといえます。

筋の読み方は 表筋、中筋、片筋、壁筋、裏筋、間4軒、跨ぎ筋の7つです。



2016年9月11日日曜日

大衆社会とは何か

ちわ鼻提灯です。
今回のテーマはこちら

【大衆社会とは何か】
広いですね(笑)ぼくの場合は漠然と操作された社会のことだとおもっていました。
つまり、人民が皆ある程度の役割を与えられてそのながれにそって社会を動かしている。そうしなければ生きられなくなってきた。
原始的に考えれば生命力を失ったとでもいうのだろうか。
およそ生きるのには必要とおもわれない情報を集め、必要ではない人間関係を構築し、人間社会に最低限必要と思われる仕事(例えば農業などの一次産業である)に関連して下層へ下層へとだれのためかもわからなくなりながら複雑に関係した社会の歯車として働いている。
特に日本人は個人としての意思を失っている。もっと言えば考えることを放棄しているとさえ思えるこの現状のことだと思っています。



うーーん長い!!そしてわかりにくい(笑)
伝えるのがへたですみません

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説ではこう言っています。
(なんじゃこの事典(笑))

大衆が政治、経済、社会、文化のあらゆる分野に進出し、その動向を左右するにいたった社会状況ないし社会形態のこと。19世紀~20世紀に資本主義が独立段階に移行したのに伴い、概念的に明らかにされた。


うーん簡潔(笑)


人口の都市集中が進んだ結果、大量生産およびそれに伴う大量消費が拡大しました。またそれに伴って生活様式が平均化・画一化したといえます。
上記を可能にしたのは物理的交通手段、精神的交通手段、特にマスメディアの発達が大きいですね。

それまで局限されていた世界は時間的、空間的に拡大した、マスメディアによって疑似的に人々の世界を統一し、情報操作をしやすくされてきました。

現代の日本に見られる地域社会文化の消滅はまさにこれが原因と考えられると僕は思います。
人々は与えられるもの、状況、情報にしたがって動くことで新しい考えを持つことをやめ、日々を無機質に生きることとなりました。



大規模な社会、組織が合同目的のもと効率的に人を管理し、人間関係は非人格化しました。



最近のバブルJr世代と呼ばれる若者の中には独立志向のものをおおいと聞きます。
僕は独立を目指すものほど他者との関係を重視するものだと思っています。また自分自身で関係をもつ人物を取捨選択するすべを持っています。

こういう人間が今後の社会を作ってくれることを僕は期待しています。政治的、経済的に不安定になった日本で若者たちは社会に従うことに疑問を感じ始めたと思います。



独立し、個人として力を持って考え、社会を動かしていく。
彼らは新しい日本人の形としていままでの概念を崩してくれることを期待しています。


今回のこのテーマはいずれまた取り上げたいと思います。
(本当にいつになるかわかりませんが(笑))


大衆社会を描いた作品
チャールズ・チャップリン 『モダン・タイムズ』でお別れです。

中国語の学習を始めよう アジアの文化に入るきっかけとして

始まりました。今回は壮大なテーマですよ
日本を理解せずしていきなりアジア全土へ行くということです。

しかし中国語を始まりとするのは中国がやはりこれからのアジア、いや世界を先進する国へと変貌しつつあるからです。


かたっくるしく勉強するのもいい、ラフに勉強するのもいい。
いろいろなアプローチから文化の勉強もまじえて入っていきたいと思います。



記念すべき第一回

【中国語マスターの不都合な真実】
語学の世界ではよく「マスター」という言葉が使われる。このためか、語学教材でも「●日で英語をマスター」「●●で中国語をらくらくマスター」というような言葉をよく見かける。
では、そもそも、「マスター」とはどのような状態を指すのだろうか。
「マスター」は英語“master”のカタカナ発音である。この語彙はいろいろな語義を持つが、ここで言う「マスター」は「~を修得する、習得する、極める、使いこなす」の意味であろう。要は英語なり中国語なりを「習得する」「極める」ことを言う。
では何をもって「習得した」「極めた」とするのだろうか。
身近な例として、語学スクールや語学教材の体験談を見てみたい。「英語が口をついて出てきました。」「中国語のままスッと頭に入ってきました。」「中国語がすごくお上手ですね、と中国人に褒められました。」というような言葉が踊っている。要は会話やリスニングができたり、ネイティブスピーカーに褒められればマスターとなるのだろうか。
別の例を見てみよう。数十ヶ国語をマスターしたとかいう、いわゆる「語学の天才」の学習方法を紹介した本も出版されている。著者は「新聞を読めるようになった」「基本的な会話ができるようになった」ことをもってマスターとみなしているようだ。
これらの例を見ていくと、会話能力をマスターの基準としているものが多いようだ。確かに英語の場合、長く文法と読解能力に重点が置かれていた中高学校英語教育と、そもそも英語を話す機会がない単一言語国家という環境のため、文章の意味は読み取れるし辞書があれば作文もなんとかできるけど会話はできない、という人が多いことの裏返しなのかもしれない。
ただ、その会話能力もどの程度の会話力を「マスター」の基準にするのかは曖昧だ。挨拶や簡単な日常会話ができるようになれば良いのか、あるいはネイティブスピーカーレベルを基準にするのか……はっきりとした基準は存在しない。
では合否が明示される検定試験を基準にしてはどうだろうか。英語なら英検一級、中国語なら中検一級だろうか。もっとも、もし中国語の基準を中検一級とするのなら、中国語を「マスター」している日本人は数えられるほどしかいないということになってしまう。

あれこれと話をこねくり回してきたが、要は「マスター」の公的基準など存在しない。ぶっちゃけた話「言ったもん勝ち」だ。これはよく言われることだが、外国語は基本的には「ツール」である。英語にせよ中国語にせよ、ツールなのだから、「用を満たせばそれで良し」なのだ。
箸に喩えてみよう。黄金の箸、銀の箸、ステンレスの箸、竹箸、いずれも箸である。その用途が食品をつまんで口に運ぶものである以上、どのような材料でも使用価値は同等である。ここで銀の箸は毒物を検出する、とか考えてはいけない。重箱の隅をつついてばかりいては中国語は身につかないw
閑話休題。資産的価値を考慮すれば、黄金の箸はその他の箸より価値があるが、本来の用途である食事に使うだけなら等価値となる。外国語もこれに然り。もし外国語の用途が簡単な日常会話に限られるのならば、通訳可能なレベルと、新聞も読めないが簡単な日常会話ぐらいならできる、というレベルは等価値にしかならない。
一方、用途がビジネス中国語の通訳となるのなら、前者は価値を持つが、後者は使いものにならない。極論すれば、中国語ができないという人と等価値ということになる。このように、ツールとして要求されるレベルはマチマチである。ツールとして使い物になることを「マスター」とするのなら、そのレベルは人それぞれとなる。故に「言ったもん勝ち」なのだ。

文章引用:http://www.chinesemaster.net/method/start-up/inconvenient-truth.html

長編小説 『本質を求めて』 No.001

僕は本質のないものが嫌いだ。本質とは絶対的に動くことのない真実、真理。その事柄、物が最初から持ち合わせているもの。しかし今は自分だけのものだ。自分自身常に本質を知りえることはできない。

すべての本質が知りたい。もっともっと深い真実へ、さまざまなアプローチからそれを求めていきたい。一体何をすればいいのかわからないが、まずは簡単なことでもいい。それを調べてみようと思った。


本質を言葉から考えてみる。
或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。
それに対して、ものに付け加わったり失われたりして、そのものが、そのものであることには関わらない(必然性のない)付帯的な性質を、偶有(性)という。
一般的には広義の使われ方として、「見せかけ」や「表面上の事柄」に対する概念としての「正体」や「真髄」など「ものの奥底にある表面的でない、中心的な、本当の「性質」の意味で使われる。
対義語現象

たとえば上記の説明はwikipediaに記載されているものだ。この文章はもちろん、ものに対する問、その答え、すべては特定の人間が考え出したものだ。僕が求めているのはそれだろうか。いや違うだろう。僕が求めているのは万人の答え。何も知らない人間にリンゴを見せたとき、色や形を形容することはできない。それが果物であることを知らないどころか食べ物であることを知らない。ならばリンゴをみたその人はそれをなんと答えよう。人間が基本的に持っている五感を活用してどのように確かめるのだろうか。

2016年9月4日日曜日

競馬 投票結果報告 9月4日分

ちゃーす 管理人鼻提灯です。

最近知り合いの勧めで競馬を始めてみました。
麻雀やパチンコなどはやったことあるのですが、そういうのと違って競馬は自分自身の技術的要素とかは入らないので、予備知識と勘といった感じですね。


定期的にやらないと感覚がはなれてしまうということはないので、忙しくても少額からちょっとずつ楽しめる感じで僕にはあっているように思いましたね。



先々週あたりに小倉競馬場ににはじめていきまして・・・


いやーやっぱり競馬場の迫力たるや素晴らしいですね。夏なので熱気といい風といいね。
僕は割と動物好きなのでね。
馬が走っているの見るだけで楽しいですけどね(笑)




こんな感じでね・・・(笑) でかいですよね

小倉競馬場のコースの特徴はね、こんな感じです。
がっつり文章引用ですね(笑)

↓↓↓
1615mという1周距離(Aコース使用時)は、福島競馬場に次ぐ小ささ。標準的な長さといえる直線(293m)に坂は設けられていない。小倉競馬場は「平坦、小回り」を地でいく、すなわちいかにもローカル場らしい競馬場といえる。  そんな小倉競馬場には2つの特徴を指摘できる。ひとつは2コーナーに小高い丘が設けられていること。先に「平坦」と書いたが、それはあくまでもゴール前の直線に限った話で、芝コースの高低差は3mに及ぶ。競馬場全体がフラットな造りになっているわけではないのだ。
もう少し詳細に見ていくと、ゴールラインから2コーナーにかけて上り勾配が設けられており、ここで上ったぶんを2コーナーから向正面にかけて、さらに3コーナーから4コーナーにかけて下るというレイアウト。ちなみに高低差2.9mのダートコース(1周距離は1445.4m、直線は291.3m)も、ほぼ同じような起伏構成になっている。
従って2コーナー奥のポケット地点からスタートを切る芝1200mでは、ゲートを飛び出した馬たちは2段階の下り勾配を経てフラットな直線に向くこととなる。スタートからゴールまで、上り勾配を走る局面がないわけで、しかも勝負どころの3~4コーナーには1999年に竣工したコース改造工事により、スピードを落とさずに回れるスパイラルカーブが導入されている。「小倉の短距離戦はスピード優先」といわれるのも頷けるレイアウトで、実際、1999年にアグネスワールドが小倉で記録した芝1200mのJRAレコード(1分06秒5)は、いまだに破られていない。ただしそんなレイアウトのため、短距離戦の先行争いはどうしても激化しがち。この結果、直線勝負にかけていた差し馬の追い込みが嵌るケースもあること、また“丘越え”が待っている芝の中長距離戦では、2コーナーでペースが緩みがちなことも覚えておこう。
さて、小倉競馬場のもうひとつの特徴はコースの幅がゆったりしていることだ。30mという芝コースの幅員は、ローカル6場の中で中京と並びもっとも広い。この広い幅員を利用して、A、B、Cと3つのコースを使い分けることによって、馬場の傷みの分散が図られている。
もともと、冬季の開催が終わった後に芝の養生期間を約5か月間とることができる夏の小倉開催では、絶好のコンディションで開幕を迎えるのが常。速いタイムがマークされる期間も、他場に比べると長続きする印象がある。
それでも、連続開催の後半にさしかかる頃には、さしもの芝コースにも傷みが目立ってくる。いわゆる「外差し」が決まりはじめたら、スピード優先の開幕当初とは、馬券作戦も切り替える必要があるだろう。




普段は競馬場に通うなんてことはまあ不可能なわけで
インターネット投票を主に使っております。こちらについては別の機会に説明したいとおもいます。
まあサイト見ればもちろん誰だって使い方とか登録方法とかわかるとは思いますけどね。



それでは投票結果ですが(的中のみ(笑))

【投票結果】

小倉競馬場 9月3日土曜日 11レース 北九州短距離ステークス
サラ系3歳以上1200m芝・右
(混合) 3歳以上1600万円以下ハンデ
本賞金:1820730460270182万円
付加賞:23.86.83.4万円
発走 15:35
天候:曇   芝:良

↑↑↑ ごちゃごちゃと書いちゃってすみませんね(笑)



購入馬券
➡ 馬連BOX 8、10、11 各100円   的中8-11 払戻2,430円

安いですねー(笑)
お金がないものですから掛け金が少ないんですよね。またびびって馬連買っちゃったりしてね(笑)

このレースは一着から順に以下の通りです。
7枠 8番 ラインハート
8枠 11番 ブレイズエターナル
3枠 3番 マルヨバクシン

11番ブレイズエターナルは、トップハンデとなりましたがこの量は背負いなれているとの話でした。久々の前回レースも二着と好調だったみたいなのでえらびました。
十番はラズールリッキーは調子いいみたいなこと言われてましたけど、単純に僕が10月生まれなので選びました。(適当!(笑)



9月3日のあたりはこの1つだけでしたね。まあ総額1000円しかかけてないので一応プラスです。!!!(笑)


ではでは

2016年9月2日金曜日

麻雀研究 捨て牌を読む 第一回

ちゃ!鼻提灯です!!

ラベルに学校の時間割風のをつけようと思ったものの早速麻雀で算数でいいのかと疑問を抱きながら書いています(笑)


もう何かくのかもわからないブログですが雑にいろいろ進めていきたいと思います。

では早速


言わずもがな麻雀の振り込まない打ち方を習得するために他家の捨て牌を読んで放銃率を下げる必要があります。

僕は現段階で常にゼンツッパ(自分の手牌だけをかんがえる)で打つことが多く。とても自己中心的に楽しんでいますが・・・・いかんせん強くなれない(笑)


<合わせ打ち>
同巡内で上家が切ったのとまったく同じ牌をそのまま捨てることです。
この牌では同巡内においてすべてのプレイヤーがロンできない完全安全牌

これは俗にいう現物ですね安牌といいます
対面や下家の場合は上家がツモで手替わりする場合があるので注意です。これを山越ロンといいます。(ツモ切りの場合は大丈夫ですけどね・・・ニヤリ)


まず現物を見つけることは最も基本となります。これは見逃さないようにしましょう。
ちなみにポン・カン・チーした牌やリーチ後に捨てられた牌も現物です。


<幺九牌(ヤオチューハイ)を捨てているパターン>
経験者は常識だと思いますがヤオチューハイとは1・9・字牌です。
この牌は捨て牌として多く捨てられているのは最も多い形ですね
この場合は数牌の2-8を中心に集めていると推測されます。

推測されるですからね理論信者にならぬようにね(笑)


この中張牌(チュンチャンパイ)を集めている場合には平和(ピンフ)断幺九(タンヤオ) の役を作っていることが多くあります。
イーペーコーや三色が絡んでいる場合もありますね



<セオリー通りのきれいな手>
上記のような手作りだときれいな和了形に整いやすく、早い段階でテンパイとなる可能性がたかいです。リーのみも十分に考えられますね。

チューチャン牌の中でも4、5、6などの真ん中は絡みやすいので注意が必要ですよみなさん



ちょっと短いですが中チャン牌を捨てている場合についてはまた次の書き込みで!
筋読みについても触れていきたいですね


ではでは