2016年9月11日日曜日

長編小説 『本質を求めて』 No.001

僕は本質のないものが嫌いだ。本質とは絶対的に動くことのない真実、真理。その事柄、物が最初から持ち合わせているもの。しかし今は自分だけのものだ。自分自身常に本質を知りえることはできない。

すべての本質が知りたい。もっともっと深い真実へ、さまざまなアプローチからそれを求めていきたい。一体何をすればいいのかわからないが、まずは簡単なことでもいい。それを調べてみようと思った。


本質を言葉から考えてみる。
或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答え(「何性」)として与えられるもの。
それに対して、ものに付け加わったり失われたりして、そのものが、そのものであることには関わらない(必然性のない)付帯的な性質を、偶有(性)という。
一般的には広義の使われ方として、「見せかけ」や「表面上の事柄」に対する概念としての「正体」や「真髄」など「ものの奥底にある表面的でない、中心的な、本当の「性質」の意味で使われる。
対義語現象

たとえば上記の説明はwikipediaに記載されているものだ。この文章はもちろん、ものに対する問、その答え、すべては特定の人間が考え出したものだ。僕が求めているのはそれだろうか。いや違うだろう。僕が求めているのは万人の答え。何も知らない人間にリンゴを見せたとき、色や形を形容することはできない。それが果物であることを知らないどころか食べ物であることを知らない。ならばリンゴをみたその人はそれをなんと答えよう。人間が基本的に持っている五感を活用してどのように確かめるのだろうか。

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